HPがInfoseekにあったころの日記は、現在データベース化待機中となっています。
DB化完了:2006年度分 ・ 2002年度分 ・ 2003年度分1~5月
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タイトルにつく【】の意味
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今回が3月の初日記。3月ももう半分ぐらい経ってしまいました。
IT系とか日常のことでも書きたいことは溜まっているけど、それはまたの機会に。
本日のお風呂での議題は、『幸せとはなんだろうかー』というもの。直前までコミック版ひぐらしの罪滅し編を読んでいた影響もあるのだけど。
仮説は、嬉しい≒幸せ。
参考は、2008/01/18の日記『喜怒哀楽マトリックス』
ただし、このマトリックスは、今はこう思います。
ある行動において、
状態/結果 | 快 | 不快 |
想定したもの | 楽 | 怒 |
想定しなかったもの | 喜 | 哀 |
ただし、喜ぶのは自分ではなく、他人からの評価の上でのみなのかもしれません。『私は嬉しいです』とは言うけれど、『私は喜びます』と聞いたことはありません。『彼は喜んでいたよ』です。
で、ここまでの仮説をつなげれば、
幸せ≒嬉しい、であり、嬉しいとは『喜ぶ状態』を、他人、もしくは自分を客観的に見た状態、と定義できます。
自分の外からの評価、であるにせよ、幸せ≒喜ぶ状態、となるので、幸せ≒意外性(良い意味含む)のある快、と展開しました。これが第1の結論。
もう1つ。幸せは差の認識というもの。
次の参考は、2004/01/20の日記『独創的な正弦(=原罪)+昨日の補足(=続き)』
4年前のこの時期はまだInfoseekサーバにいたので、現在のSAKURAサーバにこの日記はありません。
タイトルは若気の至りということでおいておいて、その中で使った画像。
縦軸は幸福度で、横軸が時間です。
黒線の『理想人間』の定義は日記上で黙秘されていたので推測するしかないけど、日記に化学を見ろと書いてあるので『理想気体』が元になっていると考えられます。
理想気体は、自分の体積・分子間力の相互作用ともに0して考えた理想的な気体ということなので、理想人間とは、『何からもまったく影響を受けなかった場合の人間』でしょう。ものすごく簡単に言えば脳死になったような状態。
それと比べると、赤線『幸福な状態』や緑線『とても幸福な状態』はかなり上に存在しています。幸せが時間とともに蓄積されて、大きな差がついています。
でも、幸せは比較や差でしか感知できない上に、慣れがあるため恒常的な幸せを知るのは難しいのです。
黒い線から見れば、緑の線にいようと、赤の線にいようと、幸せでしょう。でもそれを感じることはできない、というわけです。毎日小さな幸せをいろんなところから受けていようとも、分からないわけです。
自分を極限まで落とした状態と、今の状態との差が幸せである。これが第2の結論。
二つをまとめると『幸せ=意外性のある快の蓄積』となります。これが今日の時点での解かな~。
意外性と書くと何か大きなものを想定してしまうけど、例えば『物をあげたら、お礼が返ってきた』も意外性に含まれると思います。
『物をあげたらお礼を返す』こと自体、人間が勝手に決めた慣習ですから。物をあげた際には、返ってくることは想定しないのが、自然状態と考えているからです。
では、
『想定どおりの快の蓄積』は、何になるか、が次の議題のひとつになります。
漢字は優秀で『楽しい≒楽』であり、『想定どおりの快の蓄積=堕落』というのが、所見での感想。
書かない内容は忘れていく。
書いた内容ですら、忘れていく。
でも、書いた内容は、後から思い出すことができる。
ゆえに、私は情報を書き残してゆくのだ。