HPがInfoseekにあったころの日記は、現在データベース化待機中となっています。
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私は物心ついた頃から、乱数に非常に興味を持っていました(乱数の生成方法じゃなくて、乱数自体)
理由はただひとつ、『乱数を使えば、作者本人であっても楽しく遊べるゲームが作れる』から。
本日はちょうどいいので、乱数についての考察。現時点でのまとめ。
初期の乱数は、やはりサイコロから。
でも、計算能力はそんな高く無い頃なので、サイコロの値を単純に足して、戦闘でのダメージを決定したりしてました。
当時は、ドラゴンクエストⅠ・Ⅱ(SFC版)の影響で、攻撃力と防御力からダメージを導き出して、相手のHPを削っていく、っていうものが自分の中では流行っていたようです。
バトルエンピツとかも、そんな感じのでしたしね。
でも、サイコロの6つの事象では足りなくなって、トランプ(の数字部分)を使ってみたり、ウノ(の数字部分)を使ってみたり、ルーレットを使ったりしていました。
サイコロを2つ振るっていう発想はまだ無かったかなぁ。
小学生高学年になってソードワールドに出会い、そこで初めてサイコロを2つ振ることとか、重み付けとかを知りました。
振った数値を単純に足すのではなくて、ある一定の比重をかけてポイントを算出するもの。2~5は1、6~8は2、9~11は4、12は7みたいな感じで。
サイコロを2つ振ると、事象の数が11に増えて、しかもそれぞれに確率が割り振られるので、より幅が広がりなかなか面白いものになりました。
その後、ソードワールド関連で、ロードス島に出会い、10面体ダイス×2で、パーセントによる計算もシミュレート可能になりました。
こうなると、例えば、命中力:10じゃなくて、命中率:75%とか書けるようになるのでより客観的に分かりやすくなったものです。
さて、高校に入ると、コンピュータの時代がやってきたわけですが、そこで自分が遊ぶために必要なものとして乱数を必ず使っていました。
これがあるから、私は自分で作ったもので楽しむことができたようです。
乱数による変化なんかを見ているもの楽しかったので、ある面ではゲームというより、乱数プログラムのシミュレートに近かったかもしれません。
大学に入る頃には、ゲームのグラフィック技術に乱数を組み合わせて乱数グラフィックスを見て楽しんでいました。
自分の作ったものから予想できないものが生まれてくる様が、一番楽しい瞬間でした。
乱数グラフィックスが分からない方は、もし良かったら、このホームページのProjectコンテンツにおいてある『コウサ・マテリア』を実行してみてください。
下で解説しますが、基本的な振る舞い+乱数の属性で動いているので、次にどんな絵が現れるかは私にも分かりません。
さて、昨日の優雅な夏休みを過ごす会も、コンピュータ的に分解すれば、一種の乱数プログラムであるといえます。
簡単で抽象的な振る舞い(『着いた駅』で『何か』する)と乱数を含んだ動作(『山手線』を《1~6のいずれか》駅分進む)で成り立っているわけです。
このプログラムの面白いところは、上記のゲームやグラフィックスと同じで、『実行してみないと意味が見えない』ものであり、『最後まで動かさないと完成しない』ものであります。
それを『意味が無い』とか、『目的が無い』とか言うかもしれません。確かにそれは正しいのです。なぜなら、そこを意識していないプログラムですから。
このプログラムにおいて、『意味』は『見つけるもの』であります。その『意味』は、もしかしたら無理やりかもしれないけれど、でも、そのプログラムを見て思った感情ならば、そこから導いた『意味』は、間違ってはいないのではないだろうか、と思います。
あと、このプログラムは自分の定義したルールと、そのルールを予想外の方向へ歪めてくれる乱数、この二つを混ぜ合わせた時何ができるのか、というただの好奇心で出来上がったものです。なのである面ではそれが目的といえるかもしれませんね。ただ目的というよりも、どうなるのかな、というプロセスを眺めているほうが強いかな、と思います。
そんなわけで、私は乱数を使うのが好きです。
そもそも人間の行動には乱数が含まれている、と考えています。
まったく同じ状況が(つまりパラレルワールド)あったとした場合、そこには若干の差異が生まれるはず、と考えています。(例えば、水を注ぐ量とか、お風呂であったまっている時間とか、そういう無意識の量の部分に乱数が含まれていると思います)
実際どうなのかは証明不可能ですが(どっちも証明できないから)、私自身はこの考えが好きです。
ちなみに、乱数の反対である定数ですが、私は『自然』だと考えます。
自然は意思を持たないので、パラレルワールド上では同じ振る舞いをすると思うからです。
さて、自然(宇宙とか世界とか、大規模な自然)はシステムで動いている、といえるはずです。科学に代表されるように自然は非常に効率の良い循環機構や変化機構を元に、自分を維持して動いていますからね。
また、このシステムは抽象度を持っていますね。例えば物を落とす際、そのものが何であろうと問わないのです。どんなものだろうと、物理の落下の方程式1つで計算可能だからです。また、この数式は非常に簡単に書かれます。
この方程式に限らず、自然界の法則は数式で表されてしまいます。よって、自然界が抽象を許可しており、また簡潔である、ということができるでしょう。
さて、ここの『自然』の中に、近年、乱数で動いていると思われる、『人間』が誕生しました。
簡単で抽象的な振る舞いを持った『自然』と、乱数を含んだ動作を持つ『人間』で、この世界が成り立っている、と考えたら…(・-・)