HPがInfoseekにあったころの日記は、現在データベース化待機中となっています。
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これが夢の世界ならばいいな、と思ったことは何度かあります。それは、それほどまでに大きな失敗をしてしまった、と脳が思い込んだときです。
つまりこちらの世界上では頭に浮かんだことはありません。
それなのに、向こうの世界では思い浮かぶというのは、何なのでしょうか?
大学で、私の所属するコースには、総合演習という鬼門(逆に返せば力のつく)科目があるわけです。
毎週レポートを書くものです。理系なら普通なのかもしれないけれど…。
レポートが1つでも欠けたら来年またどうぞとなります。
その講義教室に、私は30分ほど早くつきました。そこで私はノートを見て、やっとそのレポートをやっていないことに気づきました。
先週問題が出された時、確かに頭に記憶したはずなのに。
それはとても簡単な問題でした。だからすぐできると思ったのです。
その結果忘れてしまったようでした。
レポート提出時間まで、あと30分ほどあります。
私が取れる選択肢はいくつあるでしょうか。
残り時間は少ないですが、行動リストを考えてみました。
・30分で適当に仕上げ提出。
簡単な問題ですが、量はそれなりにあります。適当なのは明白です。後で先生からメールが届くでしょう。
せっかく今まで頑張ってきたのに。これは嫌です。
・60分くらいそれなりにやって、遅刻するけど提出。
遅刻はいけません。もしかしたら誰も不審に思わないかもしれないけど、誰かにそう思われたかもしれないという可能性があることが嫌です。
・逃げる。
逃げたら、やはり先生からメールが届くでしょう。
もしここで逃げたら、おそらく、精神的に、大学にはもう行けないでしょう。
・言い訳をして期限を延ばしてもらう。
言い訳は通用しないかもしれません。言い訳に対し反論された時が怖いです。
多分何も言い返せないでしょう。これも嫌です。
・提出しない。
これが一番楽です。しかし、もちろん単位はもらえないでしょう。
やはりダメです。
どの道、駄目な運命のようです。
せっかくメモ帳2.0でタスク管理していたのに。
ここで失敗しては、意味がありません。
そもそも、簡単な問題だと、タスクを軽く見ていたのがここになってキラーになったのでしょう。
そこで私は思いました。『これが夢だったらいいのに』
しかし、残念ながら、その瞬間には帰って来れないのが残酷なところです。
向こうの世界には時間がありませんから、永遠と苦しむ必要があります。
そんなわけで、2回ほど、提出するということを忘れた"記憶"があります。
その両方で、同じことを思いました。
ここで、教室に立てこもるとか、学校を爆破するとは出てきてないので、まだ良い方なのかもしれません。(もしくは、好き勝手できる世界で好き勝手できてないので、悪いことなのかもしれません。)
もう少しありえない答えが出てくれれば、私という人間がちょっと分かるかもしれないのに。
向こうの世界は、まるで映画のように、ゲームのように、全てのイベント・アイテムが何らかの接点を持って存在していると思います。もしくは、無理やり接点が作られます。
だから、臨機応変に対応することが出来るのが良い点でしょう。
これをこちらの世界でも遺憾無く発揮できればなかなか良い結果を生み出すと思うのですが。残念ながらそういう風にはならないようです。
それは、物事が頭で直感的に思ったとおりに動かないからかもしれません。
私は30分前に講義教室についたという条件は、30分ぐらいで適当に仕上げるという選択肢が出来た時点で、あたかも最初から設定されていた項目のように、作られました。
現実ではこれが起こりません。だから、脳は思い道理にはならないと考え、慢心できず、好き放題できないのかもしれません。
しかし、脳とネットワークが直結して、直感的に思った事柄が反映される世界が出来たら、もしかしたら、生きながら夢が見れるかもしれませんね。
夢を見ている時は、脳が活発に動いているわけですから、ある面では、人類は『より進化した』といえると思いませんか?
時に、少し狂って見たり、気絶してみたりしたいなと思います。
しかし、そうなった時点で、そうなりたいと思ったいたことを認識することは出来ません。
だから、自分は今狂っているという認識を持った上で錯乱してみたいです。
感覚は明晰夢に近いのかもしれません。
つまり私は、脳の上に乗っかって遊んでみたいのです。
というのは、そういう人間が好きだから(同一化)なのか、本当にそう思っているのか、たまたま思ってしまっただけなのか。いくつも理由は見つかりますね。
ロールプレイングはいらないのですから、本当に自分が知りたいですね。
でも、どれが本当の自分なのでしょうか?
むしろ、本当の自分というものを定義できるのでしょうか?
何を持って、これは真実と決めることが出来るのでしょうか?
どの状態を言って、正しいと定めることが出来るのでしょうか?
昆虫は、外界の刺激に反応するだけで行動しているとどこかで聞いたような記憶があります。
人間もこれに漏れないのかもしれません。ただ、得ている情報量と、それらからの結果の推論数が多いだけなのかもしれません。
では、夢の状態は、どのロールプレイングなのでしょうか?
というのが、『自己とは何か』だとしたら、(授業で習った定義からするならば)6年以上遅れている計算になるような気がします。ちょっと危険ですね。
よくある、『○○歳になると○○となります』という謎の教えです。
これに対し、『自分はいつになればそうなるかな』という、わくわく気分で対応してきたのだけど、果たして良かったのか悪かったのか。
4年生になったら、また一人称は『僕』に戻そうかな。戻そうと思って戻すのかな?勝手に戻るものなのかな。
誰かさんが、『あらゆるものが2つに分けれる』と言った気がします(今日のコンピュータのビットに相当する)。そして私は、全てのものは論理で解決できると思ってい
ました。
けど、良く考えたらそうはならないのかもしれません。
主題からずれてしまったけど今日はこの辺で。
書くんじゃなくて、言えたら、話せたらまた楽しいことだろうにね。
パソコンの前と、人の前とでは、役割演技が違うのでしょうか。それともただ単に緊張しすぎているだけなのでしょうか。
昔は、宇宙とか古代文明とか、そういう謎・神秘にとても興味がありました。しかし、本当の謎・神秘と言うものは、案外一番近いところにあるものなのかもしれません。