HPがInfoseekにあったころの日記は、現在データベース化待機中となっています。
DB化完了:2006年度分 ・ 2002年度分 ・ 2003年度分1~5月
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はじめに。
まとまらなかった。けど書きたかったので。
んー、最近くりえいてぃぶに活動してないからかな。
どうも一日おきにイベントがあると、その間の安息日が『前半:前の日の分の癒しの時間』『後半:次の日のための心の準備』になってしまっているような気がする。何もできない。
順番待ち、というか何かイベント待っている状態って何もできないんですよね。明日出かける、というよう単純なものであっても。
これを解決するためには、『タスクは連続して断片的に作業できるもの』というのを体に教えないといけない。そのためには気持ちの切り替え、が必要なのかな?
でも、気持ちの切り替えって私は好きじゃない。自分は自分でいたい。ずっと。
むしろ、その言葉で、本当に切り替われるものなのだろうか?と疑問に思ってしまう。同様の理由で、モチベーションとかテンションという言葉も嫌い。
では、開始。
宇宙人はいるかいないのか。という問題を考えてみる。
これからいる派、いない派に分かれて論争するから、君はどちらだね?と。
さて、どちらだろうか?
私はいる派に入る。しかし限定付で。
『宇宙人がいると思った方がおもしろい』と私は考えるからである。
宇宙のどこかで何かをたくらんでいるのかもしれないし、文明は彼らによってもたらされたのかもしれない。本当かどうかはどうだって良いのである。こういうことを考えることは面白いと思いませんか?と問い返すだろう。
魔法だって妖精だってそうだ。ないと決めつけるよりも、あると思っていた方がとてつもなく面白い。どうせ証明などできないのだから。
じゃあ実際に見せてくれというのはまた話が違う。それを見たいという人間とはおそらく話は共有できないだろう。
昔は神の力が見えて、天使が舞い降りてきた世界。
今は科学万能時代になってしまったから、そんなものは見えなくなってしまった。
代わりにUFOやUMAそしてゴーストが現れている。
絶対的なものがない時代には、絶対的なものが。
すべてが定義された時代には、定義できないものが。
それぞれ無いものねだりによって、現れてくるのだろう。
次にはどんなものが現れるのでしょうか?
隣に座っている人間を殺してみたら、さてどんな顔をするものだろうか?
と小さな頃、ふと考えてしまって、それが忘れられずに頭に残っている。普段起こらないことを知りたかったのだろうか。
いろんなことを考えるけど、実行に移さないのは、脳のどこかに防止機構があるから。
…なの?
ニュースがすごい。いろんな人がいろんな人を殺してる。
理由があるものは、それは仕方ない。考え方が幼稚だったのだろう。
では、理由の無いものは何なのだろうか?
人間の遺伝子は97%が封印されている、と去年の日記に書いたけど、さて、その封印されているものは果たしてすべて良いものなのだろうか?
私たちは10年前への答えを持つことができる。知る力がある。学ぶことができる。
大人達が無知を隠すために張り巡らした教えを、正しく理解することができると思うんだ。
次は、次世代へこのことを伝えなきゃいけないんだけど、その機会は果たしてあるかどうか。
そこでさいばーが使えるわけですねヽ(・-・)ノ
倫理学は良かったなぁ。感想系科目はやってて楽しいし、それで単位ももらえるし、力になるしいいな。
暗記科目は私には向かない。