HPがInfoseekにあったころの日記は、現在データベース化待機中となっています。
DB化完了:2006年度分 ・ 2002年度分 ・ 2003年度分1~5月
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むー。
世の中なかなか難しいもので、友人の1人ともう会えなくなってしまいました。
時間と空間の壁を越えたインターネットの力をもってしても、少し難しいところへ。
ならばここで、思想遺伝子という考えを使おう。
物理的な遺伝子レベルでは、我々はそれを交換することはできないけど。
精神的なレベルでは、自由にそれを交換することができる。
遺伝子とは、情報を伝え遺すもの。
形質的な遺伝情報は、我々には必要が無い。それは科学がカバーする。
我々に真に必要なものは、思想的な遺伝情報。
その個体がどうなろうとも、遺伝子は残り続け、自然淘汰を掻い潜って生き残っていくように、
強い思想もまた、遺伝子として残り続け永久に語り継がれていく。
我々は、もう物理的遺伝子の保存を重視する必要が無くなった時代にいる。
あらゆる環境に耐えうるよう、多様化することなく、多彩な道具で乗り切れる環境を手に入れている。
それならば重要なことは、良質な精神的遺伝子を遺していく作業である。
そのような遺伝情報を個々で育むも可、他者から受け取るも可。
大事なことは、その情報を自分が持ったならば、必ず次の世代へ引き継ぐこと。それが責任。
その責務を放棄してはいけない。なぜならば、その情報は過去の多くの人を経由してきているから。それを閉ざすのは、その過去を自己の判断のみで切り捨てるということ。
もしくは、新しい遺伝子の創造はとてつもなく難しいものだから。その創造された遺伝子が、再度創造される可能性はきわめて低い。
いずれも、未来に対して罪を背負うことに変わりは無い。
私が受け取った遺伝子は、明らかに良質であった。
ようやく、私でも、次の世代に情報を遺す作業が行えそうである。
少し残念なことは、私は彼より年上になってしまう可能性を秘めているということ。
はたして、その頃の、私の中の彼は、今までどおりの笑顔で私を出迎えてくれるのだろうか。
178 | ぺじ | 2009-03-12 13:14:59 |
わたしは今まで親族以外の訃報に接したことがなく、ただただ驚きとかなしみに打ちひしがれています。大学では文学と芸術を学んだにも関わらず、「信じられない」という言葉しか出てこない自分を情けなく思います。 >僕から離れ >誰かの中で息づいた知識は >永遠を生きる 彼が1月7日の日記にこのように記していました。はぅ君の日記を見るにつけこの言葉を思い出し、生きること、今生きているということに対して、大きな責任を感じました。 | ||
179 | はぅ君@管理人 | 2009-03-13 00:48:55 |
>ぺじさん 昨日はどうも。 私もこれは初めての経験です。また外的要因である点も初めてです。 彼はそんなことを書いていたんですね。言葉としては忘れてしまっているけれど、そことここにその思想が存在するということは、考えが一旦咀嚼されて確実に浸透しているのを感じます。 |
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